『うらにわ』top2007.09.28
自分をコントロールしたいと思ったら、実にたくさんのものを手放す必要がある。
そんなに多くのものをコントロールするエネルギーを一個人はもてないからだ。
幸いなことに手放さなければならないのは、だいたいガラクタだ。
しかし、そのガラクタを手放すのがむずかしい。
突き詰めれば自分自身だってただのガラクタだ。ガラクタにストーリーをつけてありがたがるのが人間だからだ。
手放すためには一度手にとらなくてはならない。
そうすると持っていることすら忘れていたものたちのストーリーを思い出す。
いや、もしかしたらその場で作っているのかもしれないが…。
実に手放すのが惜しくなる。
だがここで惑わされてはいけない。
モノに付加されたストーリーも所詮は自分でつくりだした三流のストーリーだ。
そんなにたくさんのストーリーと平行して生きていくことはできない。
私が最も望むストーリーを経験するためには他のストーリーは切り捨てなければならない。
切り捨てるまでは何が自分の望むストーリーなのかに気づくことすらできない。
“私の”もの・こと・主張を捨てるのは不安なことだが、私は小さな人間だ。
私が世界にのみこまれず、私の忠実な僕であるためには、私に影響する多くの雑音を消す必要がある。
さて、一休みしたらモノを・言葉を・可能性を仕末する作業に戻ろうか。
私の主はまだ持ちすぎている。
そんなに多くのものをコントロールするエネルギーを一個人はもてないからだ。
幸いなことに手放さなければならないのは、だいたいガラクタだ。
しかし、そのガラクタを手放すのがむずかしい。
突き詰めれば自分自身だってただのガラクタだ。ガラクタにストーリーをつけてありがたがるのが人間だからだ。
手放すためには一度手にとらなくてはならない。
そうすると持っていることすら忘れていたものたちのストーリーを思い出す。
いや、もしかしたらその場で作っているのかもしれないが…。
実に手放すのが惜しくなる。
だがここで惑わされてはいけない。
モノに付加されたストーリーも所詮は自分でつくりだした三流のストーリーだ。
そんなにたくさんのストーリーと平行して生きていくことはできない。
私が最も望むストーリーを経験するためには他のストーリーは切り捨てなければならない。
切り捨てるまでは何が自分の望むストーリーなのかに気づくことすらできない。
“私の”もの・こと・主張を捨てるのは不安なことだが、私は小さな人間だ。
私が世界にのみこまれず、私の忠実な僕であるためには、私に影響する多くの雑音を消す必要がある。
さて、一休みしたらモノを・言葉を・可能性を仕末する作業に戻ろうか。
私の主はまだ持ちすぎている。
PR
Comment
この記事にコメントする
Trackback
この記事にトラックバックする: |
カレンダー
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
ブログ内検索
最古記事
アクセス解析
アクセス解析
アクセス解析